文豪トルストイも愛用した・・・出島発コンプラ瓶
燗付徳利に似た染付白磁のこの瓶、オランダ人やポルトガル人を相手にした仲買商人「金富良商社」によって輸出された日本の醤油や酒を入れたもので、「コンプラ瓶」と呼ばれます。漢字で「金富良瓶」とも書きます。

容量は3合(540ml)で、オランダ語でJAPANSCHZOYA(日本の醤油)、JAPANSCHZAKY(日本の酒)と書かれた2種類があります。
なぜ、どちらも頭が濁音なのか、オランダ語は分りませんが、日本じょうゆ、日本ざけ、と濁るから?
写真は復刻版ですが、実際に酒が入っていたので、JAPANSCHZAKYと書かれています。
この容器は、陶磁器生産で有名な波佐見で一手に作られ、最盛期には年間40万本が長崎・出島から盛んに輸出されました。

コンプラ瓶には、たくさんのロマンが秘められています。たとえば、ジャガタラお春の調度品に含まれていたとか、ルイ14世が愛用していたとか、ロシアの文豪トルストイが書斎の一輪挿しとして愛用していたなど・・・。
この瓶を見ていると、素朴でシンプルな形の中にも何かモダンさが感じられ、容器そのものも好まれた往時が忍ばれます。
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| 長崎 | 06:07 | comments:22 | trackbacks:0 | TOP↑
るんさん
ひのきは、ずいぶん昔に平戸で生れました。
平戸大橋もかかっていない時代です。
平戸大橋も無料になり、行きやすくなりましたね。
11年住んだ生月の橋も無料になり、島の人たちは喜んでいます。
平戸も少しづつ洒落た街になってきました。
蘭風の前の海には2・3度海水浴に行ったことがあるのですが、もちろん蘭風がなかった時代です。
るんさんはお若いですから、平戸に帰ってもそんなに変化を感じないと思いますが、ひのきの場合はロングスパンなので隔世を感じます。
| つしまひのき | 2012/06/11 09:28 | URL | >> EDIT