芝桜の川・・・雲仙普賢岳災害復興地

とにかく広いです。
2ヘクタールと聞いていますが、もっとありそうです。
手前から奥のほうへ通じる蛇行した歩道の右に鯉が泳いでいます。
島原市は市内のいたるところに湧水があり、流れる清流には鯉が泳ぐので「鯉の泳ぐ街」として知られていることに因むデザインです。
植えつけられてから、まだ日が浅いのでビッシリというわけにはいきませんが、ボランティアの皆さんがよくぞこれだけ植えたものだと感心させられます。
正面奥に雲仙普賢岳(平成新山)が望めるのですが、あいにく雲が掛かっていました。

高いところから見ると絵が見えますが、下に降りると広すぎて何の絵なのか?
ここは中尾川水系の砂防指定地に指定されていて、万一土石流が発生したときはこの一帯に貯留させる防災施設の一部なのです。つまり川なのです。
噴火災害のときは、直ぐ上まで火砕流が襲ってきたし、土石流も数回発生しました。
土石流が起きたら、もちろん芝桜は全滅です。
そんなことにならないよう祈りたいですね。
そして、東日本の被災地の皆さんにも、綺麗な花を愛でながら安心して暮らせるときが一日も早く来て欲しいです。

芝桜の周辺には、ツボスミレやセイヨウタンポポも負けじと咲いていました。
こちらもいいですね。

↓ブログ・ランキングに参加しています。
↓よろしければクリックを↓お願いします。

釜山から私たちも応援しています!
にほんブログ村
- 関連記事
-
- 空から夕日・・・プロペラ機 (2012/09/02)
- 夜も綺麗な・・・東京スカイツリー(Ⅱ) (2012/07/13)
- 芝桜の川・・・雲仙普賢岳災害復興地 (2012/04/23)
- 再び、飛騨古川 伝統の町並み (2011/11/17)
- 飛騨のつるし柿 (2011/11/15)
| 絶景 | 14:15 | comments:18 | trackbacks:0 | TOP↑
順天姉さん
いつもありがとうございます。
噴火災害で地形まで変わり、以前よく来たところなのに今では別のところのような気がしました。
でも、昔お世話になったKさん宅の庭にあった柿の木が残っていました。(多分・・絶対)
よく頑張ったな、と。
もちろん、お宅は火砕流でなくなりました。
この辺りは江戸時代から蝋を取るためにハゼの木がたくさん植えられていました。
「福はぜ」という名前の付いた木は、ここらのハゼの親木でもあり、実をたくさんつけることで有名でした。
みんな火砕流で全滅したと思っていたら、生き残ったハゼもありました。
ハゼの木も頑張ったんですね。
| つしまひのき | 2012/04/25 10:48 | URL | >> EDIT