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ながさきの森林(もり)

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大村三十七士「楠本正隆」邸

前回、大村藩主大村家の雛飾りを紹介しました。
飾っていた所は旧大村藩士、楠本正隆邸でした。

P4011321.jpg
旧楠本正隆邸

石垣は城郭のそれと同じで、昔の石工さんの技術がしのばれます。
庭にそびえる樹齢百数十年のイヌマキはランドマークツリーになっています。
右端はヤマモモの木でこれも大きく、このお屋敷が立てられる前からあったものと思われます。

P4010724.jpg
正面入り口

P4010741.jpg
内庭から見たお屋敷

このお屋敷は、明治3年に正隆によって建てられたもので、大村に残る貴重な武家屋敷遺構として公開されています。
       開館時間 9:00~17:00 月曜休館 入館料 大人200円 小中学生100円

P4011300.jpg

前の記事写真と重複しますが、雛飾りの部屋は客間のようです。
全体的に質素な造りで、書院造の典型を示しています。

P4011311.jpg
台所
手前の炉の周りで食事をしたのでしょう。

P4011306.jpg

気に入ったのはこの欄間。
彫り物などのような派手さ豪華さはありませんが、質素な中にも幾何学的な木組みが大変美しいです。
そして、縦幅が大きく、室内の採光に役立っています。

P4011307.jpg

P4011315.jpg
 楠本正隆

楠本正隆は、天保9年(1838年)に大村で生まれ、幕末には大村三十七士(※詳しくは後段)の一人として倒幕運動に加わり、明治維新後は、数々の要職に就き活躍しました。

・明治元年 長崎府判事
・明治5年 新潟県令(知事)
・明治10年 東京府知事
・明治22年 東京市会議員、同市会議長
・明治23年 衆議院議員
・明治26年 衆議院議長


== 大村三十七士 =========================

幕末の維新胎動の中で、わずか二万七千石の小藩、大村が大きな働きをしたことはあまり知られていない。
当時、大村藩の藩論が幕府依存に傾く中、南朝武士の子孫として政を天朝に返そうとする勤皇志士三十七人が、松林飯山を指導者として密かに血盟を結んだ。
 彼らは 藩主純熈(すみひろ)の秘かな庇護の元、七年にわたり勤皇を説き続けた。その行動が藩内佐幕派の、勤皇首脳部暗殺を誘い 、1867年、松林飯山は凶刃に倒れた。しかし、この凶行が逆に佐幕派を一掃し藩論を勤皇に統一する結果となり、大村藩を挙げて戊辰戦争の先鋒として活躍することとなった。
大村藩が薩摩・長州・土佐に次ぐ恩賞を受ける事となったのは、三十七人の志士達の命を賭けた勤皇の結果であった。三十七士の中には、坂本竜馬との親交せ知られる渡辺昇、勝海舟と西郷隆盛の江戸無血開城に立ち会った昇の兄・清も含まれている。
===================================

関連サイト:竜馬たちと日本を動かした幕末大村偉人

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| 長崎 | 10:45 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

Re: 釣りバカ

10年前に行かれたのですね。もちろん釣りに。
子供の頃の魚釣りは、せいぜい防波堤から竹竿でアジやカワハギ、カサゴ(あらかぶ)釣りか、潜って手製の銛で突くくらいでしたが、島外からの釣り客の豪華な道具には目を見張ったものでした。
今は、島外の遊漁船で来て直接磯場に上がるので、釣り客を見なくなりました。
生月のかんぼこ、特に自家製のは美味いです。

| つしまひのき | 2012/04/18 11:37 | URL | >> EDIT

釣りバカ

平戸島で生まれ生月島育ちで対馬で釣りですか~
いや~~~釣りバカに取っては羨ましいばかりです
10年位前に平戸と生月島に行きました
生月島のかんぼこのつまみ食いが最高でした
又行きたいな~

| ムツゴロウの海 | 2012/04/18 05:51 | URL |

こんばんは

"M"です。先日はご訪問&コメントありがとうございました。

今度帆船祭りがあるんですね。帆船、好きです^^昔、ビンの中に
帆船模型を入れるボトルシップを作っていました。優雅なあの姿
いいですね。見にいきたいけど大分からはちょっと遠いなぁ・・・

| ”M" | 2012/04/17 23:56 | URL | >> EDIT

相子様

いつも、ありがとうございます。
蘊蓄のある若々しいご意見を拝見させていただき、感謝いたしております。
ブログ新米ですが、そのおかげで地元のことを知る機会を得ることができました。
これからよろしくお願いいたします。

| つしまひのき | 2012/04/17 22:17 | URL | >> EDIT

Re: 勉強致しました

いつも、ありがとうございます。
蘊蓄のある若々しいご意見を拝見させていただき、感謝いたしております。
ブログ新米ですが、そのおかげで地元のことを知る機会を得ることができました。
これからよろしくお願いいたします。

| つしまひのき | 2012/04/17 22:16 | URL | >> EDIT

深い伝統です歴史です

よく受け継がれたこととこの素晴らしい品格のあるお雛様や佇まい。大事に伝えられている事に感心いたしました。

流石長崎、調度品の深さと重さが違いますネ。

| ROMI | 2012/04/17 20:32 | URL |

勉強致しました

今晩わ
↓の素晴らしい雛人形を拝見、またこの落ち着いた楠木邸に触れると言う、その土地ならではのブログに拍手を送らせて頂きます。有難うございました。

| 相子 | 2012/04/17 19:30 | URL |

ムツゴロウの海さん

コメントありがとうございます。
帆船は男のロマンをかき立てますね。
日本丸と海王丸が同時に参加したときは感激でした。

大村の禎丸さんは知りませんが、五島列島、平戸島、生月島方面は磯物の大きいのが釣れますよ。
因みに、私は平戸島生れの生月島育ちです。

知多半島周辺は魚種が多いようですね。

| つしまひのき | 2012/04/17 10:13 | URL | >> EDIT

kurt さん

コメントありがとうございます。
薩長土肥の肥は、肥前の国「佐賀藩」だと思います。
しかし、戊辰戦争での功績に与えた明治政府の恩賞は、薩摩、長州、土佐、大村の順で、佐賀藩は8番目だったそうです。
石高35万石の佐賀藩よりも、2万7千石の大村藩の功績が評価されたわけです。
私もつい最近まで大村藩の活躍を知りませんでした。
恥ずかしい限りです。

| つしまひのき | 2012/04/17 09:44 | URL | >> EDIT

こんばんは

薩長土肥の肥は大村藩のことだったのですか?調べたくなってきました^^

| kurt | 2012/04/16 21:12 | URL |

帆船まつり

帆船まつりが有るんですね~
行きたいな~
大村の禎丸さんの船にも乗りたいし

| ムツゴロウの海 | 2012/04/16 18:13 | URL |















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