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ながさきの森林(もり)

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極東の地で生涯を閉じた異国の人々・・・長崎・坂本国際墓地

 長崎市には、稲佐悟真寺(いなさごしんじ)国際墓地、大浦国際墓地、坂本国際墓地という3カ所の大きな国際墓地があります。

 坂本国際墓地は1888年(明治21年)に浦上山里(現・坂本町)に新設された外国人向けの墓地で、5,594平方メートルの広大な土地に377区画の墓を備え、その後、外国人の急増にともない85区画が増設されました。

 入口を抜けるとユダヤ人墓地や、1900年(明治33年)の義和団事件で戦死したフランス兵士が眠る墓地、その他、自国に戻ることが出来なかった外国人の墓があります。
 この墓地には、墓碑のない墓も多く、おそらく簡粗な木の十字架が建てられ、長年の歳月を経て消滅したのでしょう。また原爆の爆風で倒れたままの墓碑も見られます。


IMG_0303.jpg
ユダヤ人区域

 長崎外国人居留地には多くのユダヤ人が生活していました。長崎の地に今はなきユダヤ人社会があったことの名残りを留めているのが、このユダヤ人区域墓地です。
 入口のアーチには“BET-OLAM”(永遠の住まい)と刻まれており、そのアーチの右の石柱には西暦1893年、そして左の石柱にはユダヤ教の年号5653年の数字が刻まれています。


IMG_0309.jpg
ベトナム人区域(右手)

 ここには1900年(明治33)の中国の義和団事件で、フランス軍に雇われ戦死した下働きのベトナム人4人が葬られています。
 また、長崎で病死したフランス軍艦の乗組員の5名も眠っています。

 
IMG_0317.jpg
フランス人兵士区域

 1900年(明治33)、フランスが兵士のための墓地を購入し、中国の義和団事件で戦死した多くの兵士や船員が埋葬され、中央には大きな石造の記念碑があります。
義和団事件は映画「北京の55日」の題材でしたね。


IMG_0318.jpg

坂本国際墓地の埋葬者数(325)

イギリス(103)、アメリカ(73)、 フランス(56)、 ドイツ(29)、
イタリア( 14)、ポルトガル(11)、オーストリア(9)、ベトナム(8)、
ロシア ( 7)、日 本(3) 、スウェーデン(2)、ノルウェー(2)
デンマーク(1)、ギリシア(1)、 不明(6)


IMG_0319.jpg

墓碑の十字架が風化し、表面が剥がれ落ちているものもあります。

IMG_0321.jpg
この墓碑は比較的新しく、再建されたものかもしれません。
「チャールズ・サットン 1892年長崎に没す 54歳」の文字が読み取れます。
おそらく、英国人なのでしょう。


IMG_0323.jpg

IMG_0324.jpg
墓碑には1903年に75歳で亡くなったとある。
日本式の花筒に生花が手向けられ、マグカップにはお茶らしきものが。
長崎在住の子孫だろうか、ゆかりの人が定期的に参っているようです。


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| 長崎 | 00:00 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

順天姉さん

国際墓地を抜けられるんですか。
子供にとって夜は怖いですよね。

順天お父さんは墓地の前の道路をバイクで颯爽と走ってらっしゃいました。
格好いいヘルメットをかぶって。
2度お見かけしましたが、カメラが間に合いませんでした。ブイーンっと走り去ったので。

悟真寺の墓地は清掃ボランティアで知っていましたが、坂本墓地は初めてでした。
永井博士やグラバーさんの墓地があるのも知りませんでした。
次は、下からチョットだけ鳥居を見たことのある山王神社に行って見たいと思います。

| つしまひのき | 2012/09/18 09:56 | URL | >> EDIT

久しぶりに見ました。国際墓地の中。

順天に住んでいる時は、出前とかさせられちゃうんで、国際墓地を抜けて、出前先に行ったりしてたんですよね~。(きっと順天父にとっては今も~)
順天にとって墓地ではない?^^;
でもクリスマスの夜とか順天父が忙しいと、順天妹と順天姉がその墓地内で「恐いよ~、寒いよ~」とか言って2人で出前に行ったりしましたよ。墓地通らないと行きにくいお宅もあるんですよね~(;_;)ごめんなさ~い、墓地で眠っている方々~(>_<)

| 順天姉 | 2012/09/17 18:59 | URL |

相子 さま

長崎だけではなく、全国に外国人の墓は多いと思います。ただ、たくさんまとまっているかどうかの違いで、日本人のお墓を大切にする精神には変わらないと思います。

日本でキリスト教が禁じられていなかった頃、多くのクリスチャンが東南アジアへ出て行きました。
その後、禁教令が出されたため、永遠に故郷へ帰れなかった話は多いですね。
平戸で伝えられている「ジャガタラお春」もその一人です。

海外で命を落とした日本人も世界各地でねんごろに葬られたケースは多いと思います。

| つしまひのき | 2012/09/15 17:39 | URL | >> EDIT

おばんです さん

昔は、外人墓地と呼んでましたが、今は国際墓地です。
3つの国際墓地共にボランティアによる清掃活動が盛んです。
ひのきも1度だけ日曜日に参加しましたが、参加者が多いのに驚きました。
長崎には結構ロシア人のお墓が多く、ゴルバチョフ大統領が来日の際、長崎の国際墓地にお参りしました。

| つしまひのき | 2012/09/15 17:27 | URL | >> EDIT

yokoblueplanet さん

海外で暮らしている方でなければ分からない問題ですね。
日本人は墓を大事にしていると思います。
自分のものも他人のものも。

| つしまひのき | 2012/09/15 17:19 | URL | >> EDIT

全く知りませんでした。長崎の歴史と合わせて考えますと、この地でこそだな~と拝見しました。
yokoblueplanet さんの仰る通り外国で眠る人々はいろいろな事情を持っています。このように葬られるとはご本人にとっては予想外のことだと思います。
先進的な長崎でこそですね。素晴らしいです。

| 相子 | 2012/09/14 19:41 | URL |

長崎にはこういう場所があるのですね。

永遠の住まい・・
お一人おひとり、どんな思いでここに眠っているのでしょう。
今なおきれいに保存されているのをみると、
長崎の歴史とそこに住む方々の優しさをひしひしと感じます。

| おばんです | 2012/09/14 11:20 | URL |

身近な話題

こんばんは。
国外で落命、これは海外に住んでいると時々考える案件です。
母国以外に暮らす場合、戦いで命を落とした人、病没した人、帰りたくない人、帰りたくても帰れない人、愛した人のために帰らない人、、、色々あると思いますが、このような墓地がきちんと守られている様子を見ると何となく嬉しくなりますね。

| yokoblueplanet | 2012/09/13 19:20 | URL |















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