永井隆博士のお墓へ・・・長崎・坂本国際墓地
長崎市の最初の名誉市民となった永井隆博士の墓は、先般ご紹介した長崎・坂本国際墓地の入り口の一角にあり、愛妻の緑さんと共に眠っています。
医学博士でありカトリック信徒だった永井隆博士は、放射線医療研究による被曝のため既に白血病を発症していましたが、さらに原爆によって愛妻を亡くし、自身も重傷を負いながらも、被爆者の救護に身を費やしました。
また、原爆被爆による二重の苦難と戦いながら、死の直前まで原子病の研究と平和を訴える執筆を続けました。

永井隆記念館リーフレット
博士は、1951年(昭和26年)5月1日に長崎大学医学部付属病院で生涯を閉じました。
3日には浦上カトリック教会葬、14日には長崎市公葬が行われ、長崎市内の鐘が打ち鳴らされ、約2万人の参列者に見守られ、ここ坂本国際墓地に埋葬されました。



墓碑には、パウロ永井隆、マリナ永井緑と刻まれています。
毎日、長崎市民がお参りに訪れます。
私が8月9日に訪れた時も、数人の市民がお参りしていました。
「戦争はおろかなことだ!戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである。」(「花咲く丘」より)

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| 長崎 | 00:00 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
「戦争はおろかなことだ!戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである。」
こんばんは。
永井医師のお気持ちがずっと生かされますように!
| yokoblueplanet | 2012/09/19 18:38 | URL |