もうひとつの平和祈念像・・・トンチンカン(頓珍漢)人形・久保田馨
トンチンカン人形(頓珍漢人形)をご存知ですか。
長崎・大浦天主堂の直ぐ近く、旧香港上海銀行長崎支店2階に手作りの小さな頓珍漢人形(トンチンカン人形)が展示されています。
作者は故久保田馨(くぼた・かおる)。
14年間に30万体も製作されたこの人形は、長崎市内の土産物店でとても安い値段で売られていた土人形です。
ひとつひとつじっくり見ると、とても愛嬌のある姿形をしています。
その不思議な独創性に魅せられたブラジルの詩人、I・Cヴィニョーレスの絶賛を受けてデザイン誌上で紹介され、全国に知られることとなりました。
また、この人形創作には原水爆への怒りや平和への願いが込められているため“もうひとつの平和祈念像”ともいわれています。

旧 香港上海銀行長崎支店 ・・・後日紹介

トンチンカン人形(一体の高さは2~7センチメートル、素焼き)
久保田 馨(かおる)
(昭和3年生まれ~昭和45年没、42歳)。
・出身地は静岡県
・外語専門学校を卒業後、24歳で長崎に移り住む。。
・長崎焼きの阿茶さん人形に魅せられ、中原仁斉の工房に弟子入りし、2年間、焼き物を学ぶ
・独立してからは自分の人形を作りだした。
・愛宕山に住むようになった久保田は、そこに2坪ほどの小さな工房を構え、「トンチン館」と称した。
・人形を作る一方で久保田は生物を愛しむ俳句を作り、また、近所の子供たちをトンチン館に集め、『アリの会』という名の子供会を作り、週一回俳句会、勉強会、ゲーム等を教え、さながら良寛さんのごとく遊んだ。
久保田は子供たちに生命の尊さを教え、自らも蚊一匹殺さぬ生き方を貫き、原水爆を作った人間の愚かさを憎み、悲しんだ。

人間の愚かさを憎み悲しんだ

名が売れたあと、東京の百貨店や、アメリカへの輸出の話などが持ちこまれますが、全て断ります。一体一体手作り。しかも全て姿形の違う人形を大量生産できるはずもありません。
久保田は、人形をお金にかえる事を嫌い、生活が苦しくても人形の値段を子供でも買いやすい30円という価格で、売りつづけました。

子供たちとの回覧ノート『アリの会ーみんなのかべ』には久保田の心情がよく表されている文があります。
(前略)
「戦争をにくみ平和をねがう気持ちにだれだってかわりない。
それなのに世の中には馬鹿な人間がいて、ひそかに戦争のよういをしている。あれほどの大殺人器のゲンバク、スイバクをこっそり(でもないか)どしどし作っている。
とんでもないことだ。
「そんなバカオソロシイものはみんな海のそこにおすてなさい」とさけびたい。
何とかして、みんなでそうさけびたい!
そのバカオソロシイことは、われわれ長崎人が一番よく知っているんだ!
今日は今日の風向きにハタあげしんけんです。
きのうとははんたいの風むきにハタあげ長崎平和。
とにかく長崎は平和だ。平和バンザイ。平和、平和、なんてうつくしい字なんだ!
平和は来るものではない、つかむものだ。」
(後略)
1970年(昭和45年)、己の命を人形に注ぎ込むように42歳の若さで亡くなった。
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作者は故久保田馨(くぼた・かおる)。
14年間に30万体も製作されたこの人形は、長崎市内の土産物店でとても安い値段で売られていた土人形です。
ひとつひとつじっくり見ると、とても愛嬌のある姿形をしています。
その不思議な独創性に魅せられたブラジルの詩人、I・Cヴィニョーレスの絶賛を受けてデザイン誌上で紹介され、全国に知られることとなりました。
また、この人形創作には原水爆への怒りや平和への願いが込められているため“もうひとつの平和祈念像”ともいわれています。

旧 香港上海銀行長崎支店 ・・・後日紹介

トンチンカン人形(一体の高さは2~7センチメートル、素焼き)
久保田 馨(かおる)
(昭和3年生まれ~昭和45年没、42歳)。
・出身地は静岡県
・外語専門学校を卒業後、24歳で長崎に移り住む。。
・長崎焼きの阿茶さん人形に魅せられ、中原仁斉の工房に弟子入りし、2年間、焼き物を学ぶ
・独立してからは自分の人形を作りだした。
・愛宕山に住むようになった久保田は、そこに2坪ほどの小さな工房を構え、「トンチン館」と称した。
・人形を作る一方で久保田は生物を愛しむ俳句を作り、また、近所の子供たちをトンチン館に集め、『アリの会』という名の子供会を作り、週一回俳句会、勉強会、ゲーム等を教え、さながら良寛さんのごとく遊んだ。
久保田は子供たちに生命の尊さを教え、自らも蚊一匹殺さぬ生き方を貫き、原水爆を作った人間の愚かさを憎み、悲しんだ。

人間の愚かさを憎み悲しんだ

名が売れたあと、東京の百貨店や、アメリカへの輸出の話などが持ちこまれますが、全て断ります。一体一体手作り。しかも全て姿形の違う人形を大量生産できるはずもありません。
久保田は、人形をお金にかえる事を嫌い、生活が苦しくても人形の値段を子供でも買いやすい30円という価格で、売りつづけました。

子供たちとの回覧ノート『アリの会ーみんなのかべ』には久保田の心情がよく表されている文があります。
(前略)
「戦争をにくみ平和をねがう気持ちにだれだってかわりない。
それなのに世の中には馬鹿な人間がいて、ひそかに戦争のよういをしている。あれほどの大殺人器のゲンバク、スイバクをこっそり(でもないか)どしどし作っている。
とんでもないことだ。
「そんなバカオソロシイものはみんな海のそこにおすてなさい」とさけびたい。
何とかして、みんなでそうさけびたい!
そのバカオソロシイことは、われわれ長崎人が一番よく知っているんだ!
今日は今日の風向きにハタあげしんけんです。
きのうとははんたいの風むきにハタあげ長崎平和。
とにかく長崎は平和だ。平和バンザイ。平和、平和、なんてうつくしい字なんだ!
平和は来るものではない、つかむものだ。」
(後略)
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