大村三十七士「楠本正隆」邸
前回、大村藩主大村家の雛飾りを紹介しました。
飾っていた所は旧大村藩士、楠本正隆邸でした。

旧楠本正隆邸
石垣は城郭のそれと同じで、昔の石工さんの技術がしのばれます。
庭にそびえる樹齢百数十年のイヌマキはランドマークツリーになっています。
右端はヤマモモの木でこれも大きく、このお屋敷が立てられる前からあったものと思われます。

正面入り口

内庭から見たお屋敷
このお屋敷は、明治3年に正隆によって建てられたもので、大村に残る貴重な武家屋敷遺構として公開されています。
開館時間 9:00~17:00 月曜休館 入館料 大人200円 小中学生100円

前の記事写真と重複しますが、雛飾りの部屋は客間のようです。
全体的に質素な造りで、書院造の典型を示しています。

台所
手前の炉の周りで食事をしたのでしょう。

気に入ったのはこの欄間。
彫り物などのような派手さ豪華さはありませんが、質素な中にも幾何学的な木組みが大変美しいです。
そして、縦幅が大きく、室内の採光に役立っています。


楠本正隆
楠本正隆は、天保9年(1838年)に大村で生まれ、幕末には大村三十七士(※詳しくは後段)の一人として倒幕運動に加わり、明治維新後は、数々の要職に就き活躍しました。
・明治元年 長崎府判事
・明治5年 新潟県令(知事)
・明治10年 東京府知事
・明治22年 東京市会議員、同市会議長
・明治23年 衆議院議員
・明治26年 衆議院議長
== 大村三十七士 =========================
幕末の維新胎動の中で、わずか二万七千石の小藩、大村が大きな働きをしたことはあまり知られていない。
当時、大村藩の藩論が幕府依存に傾く中、南朝武士の子孫として政を天朝に返そうとする勤皇志士三十七人が、松林飯山を指導者として密かに血盟を結んだ。
彼らは 藩主純熈(すみひろ)の秘かな庇護の元、七年にわたり勤皇を説き続けた。その行動が藩内佐幕派の、勤皇首脳部暗殺を誘い 、1867年、松林飯山は凶刃に倒れた。しかし、この凶行が逆に佐幕派を一掃し藩論を勤皇に統一する結果となり、大村藩を挙げて戊辰戦争の先鋒として活躍することとなった。
大村藩が薩摩・長州・土佐に次ぐ恩賞を受ける事となったのは、三十七人の志士達の命を賭けた勤皇の結果であった。三十七士の中には、坂本竜馬との親交せ知られる渡辺昇、勝海舟と西郷隆盛の江戸無血開城に立ち会った昇の兄・清も含まれている。
===================================
関連サイト:竜馬たちと日本を動かした幕末大村偉人
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旧楠本正隆邸
石垣は城郭のそれと同じで、昔の石工さんの技術がしのばれます。
庭にそびえる樹齢百数十年のイヌマキはランドマークツリーになっています。
右端はヤマモモの木でこれも大きく、このお屋敷が立てられる前からあったものと思われます。

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このお屋敷は、明治3年に正隆によって建てられたもので、大村に残る貴重な武家屋敷遺構として公開されています。
開館時間 9:00~17:00 月曜休館 入館料 大人200円 小中学生100円

前の記事写真と重複しますが、雛飾りの部屋は客間のようです。
全体的に質素な造りで、書院造の典型を示しています。

台所
手前の炉の周りで食事をしたのでしょう。

気に入ったのはこの欄間。
彫り物などのような派手さ豪華さはありませんが、質素な中にも幾何学的な木組みが大変美しいです。
そして、縦幅が大きく、室内の採光に役立っています。


楠本正隆
楠本正隆は、天保9年(1838年)に大村で生まれ、幕末には大村三十七士(※詳しくは後段)の一人として倒幕運動に加わり、明治維新後は、数々の要職に就き活躍しました。
・明治元年 長崎府判事
・明治5年 新潟県令(知事)
・明治10年 東京府知事
・明治22年 東京市会議員、同市会議長
・明治23年 衆議院議員
・明治26年 衆議院議長
== 大村三十七士 =========================
幕末の維新胎動の中で、わずか二万七千石の小藩、大村が大きな働きをしたことはあまり知られていない。
当時、大村藩の藩論が幕府依存に傾く中、南朝武士の子孫として政を天朝に返そうとする勤皇志士三十七人が、松林飯山を指導者として密かに血盟を結んだ。
彼らは 藩主純熈(すみひろ)の秘かな庇護の元、七年にわたり勤皇を説き続けた。その行動が藩内佐幕派の、勤皇首脳部暗殺を誘い 、1867年、松林飯山は凶刃に倒れた。しかし、この凶行が逆に佐幕派を一掃し藩論を勤皇に統一する結果となり、大村藩を挙げて戊辰戦争の先鋒として活躍することとなった。
大村藩が薩摩・長州・土佐に次ぐ恩賞を受ける事となったのは、三十七人の志士達の命を賭けた勤皇の結果であった。三十七士の中には、坂本竜馬との親交せ知られる渡辺昇、勝海舟と西郷隆盛の江戸無血開城に立ち会った昇の兄・清も含まれている。
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| 長崎 | 10:45 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑